『目標を持つ』だけ、をおこなうの弊害。

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目標を持つことはすばらしいし、自分にも目標がある。ゴールを持たないと、間違った方向に全力を出してしまうこともある。熊本に行こうと思ってたのに東に向かって名神を時速100キロで走っても意味がないからね。しっかりとナビに熊本城といれるべきだ。

イチローや石川遼や本田圭佑はしっかり目標を持っていたからあそこに行けたのであるから目標をたてるのはとても大事、それを否定する気はまったくない。

ところがだ、実は目標には弊害がある。さらに言うと、目標をたてたから彼らはそこにいけたのだよという言葉足らずの解説には弊害がある。

残念ながら目標をたてただけではそこにいけない。

目標をたてると同時に、また立てた後に必ずしないといけないことがある。それがないと目標を達成することはできないのだ。それは何かというと

タスクの作成

だ。タスクとは元々コンピューターの用語で、中央処理装置の動作に基づいた制御の最小単位という意味であるが、転じて、目標やプロジェクトを達成するためにやるべき行動を細かくしたものとしている。
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目標を達成する人は、目標をたてたあと、そこに行くためには何をすべきかを細かくタスク化する。何度も何度も修正を重ね、PDCAで改善をし、これでもかっていうくらい細かくやる。

そしてそれができたら、今度はタスクに集中する。タスクを徹底的につくりこんだ人は、それをやっていれば、確実に目標に届くことを知っているので、タスクをやることにだけ集中する。目標について考えるというより、タスクをやることを考える。

これが目標を達成する人とそうでない人の差だ。大谷選手はこのタスクづくりがすごかった。大谷選手が高校時代に作ったマンダラチャートというのがある。グーグルで『大谷 曼荼羅』で検索するとでてくるので見ていただければと思うのだが、そこには目標達成するためにやるべきことが網羅されている。

目標だけを持つことの弊害とはそういうことだ。目標とか夢とかには麻薬的な響きがある。ビジュアル化して、それをイメージすることが目標達成するためには必要だが、それにハマるとやばい。気持ちいいし楽しいからだ。

だが、タスクをやるのは時にしんどい。160キロを投げるためには下半身強化が必須になる。そのために10キロを每日走るかも知れないし、160キロのスクワットを週1回するかもしれない。このふたつは相当しんどい。しんどいことをやりつづけるためには気力がいる。

そう、目標を持つのはたのしいが、そこに行くためのタスクをやるのはしんどいのだ。たいくつでもある。夢を見るのは楽しいが、スクワットをやるのは辛いのだ。結局何かをやらないと到達しないのだが、やるのはしんどくて退屈だからやりたくないのだ。

これが問題だ。

目標や夢を持つ、見るのは楽しい。でも、もった瞬間に、そこに到達するためには、やらなきゃならない。やるのは嫌だ。そうすると人はどうするのか。そうである、麻薬的なホルモンが脳からでる。さあ、そんなつらくて退屈なことやらずに目標をたてよう、またあらたな目標たてればいいじゃん、楽しいよ、やろうよと脳が誘ってくるのだ。

セミナージプシーとよばれる人たちもそれに近い。セミナーにでて目標を達成するぞ〜、夢をかなえるぞ〜って鼓舞する、される。それが楽しいから、それに参加する。よし帰ったら夢をかなえるためにやるぞ、となるのだが、実際やること、タスクはくそおもしろくもなく退屈。だからやらない、また夢を探しにってなってしまうのだ。

夢や目標を持つのはとても大切です。あったほうがいいに決まっています。ですが、そこにいくためには行動する必要があるのです。そこには、退屈で苦しい作業もはいっています。そんなことはあたりまえですが、それを隠すのが夢や目標なのです。

絶対に必要ですが、それだけではだめということです。それが、目標だけを持つだけの弊害とした理由です。やるって大変で大切です。