学問の側面

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昔は新しいことを学ぶことが学問だと思っていた。大半は今もその考えで変わらないのだが、最近あらたな側面があることに気づいた。それは、裏付けだ。

自分が独学で(もちろんまったく0から学ぶというのではない、さまざまな論理を借用している)追求してきた一応の答えが出たとする。お、これは凄い大発見だとやっていると、過去の論文でその論理の事が明快に書かれていたりする。

これは凄い面白い。偉い学者さんが言ってる事と同じことを考えついた喜びもあるし、しっかり裏付けされていることが自信になる。

とはいえ、これも実は過去にその論文の一部に触れていたり、この論文を引用した理論に出会っているからかも知れない。でもそれは解らない。過去に触れた情報をすべて意識下で記憶しているわけではないので判断しようがない。

まあ良しとしよう。

この流れで得た論理と言うのは安定度と定着度が違ってくる。自分で考えた論理は合っているか常に不安だし、論文からそのまま得た論理はほんまにあっているのか疑ってしまう。どちらも完全に確実ではないの不安なのだが、両方が合うと、お、と思ってしまう。

でもこれ、両方間違っている可能性もある。ふたつが偶然あったけど、違っているという可能性もある。3つくらいなら大丈夫かも。

さらにこれはバイアスがかかってしまう恐れもある。自分がずっと考えていることを、同じように話す人がいたら、聞いた瞬間参ってしまう。人が何かにはまるとか、その人を崇拝してしまうのはこんな時だと思う。

充分な注意が必要だ。

それでも自分でしっかり考えると言うことは外せないように思う。考えた結果だまされたら納得もいくだろう。