ロフトと12坪貸工場とシンナーと

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私の記憶が正しければ3才から4才までの1年間、ロフトに住んでいた。4才って言ったら46年前なので昭和44年頃。おそらくロフトなんておしゃれな住まいは日本にまだなく、そんな名前すら知らないというような時代だ。

そういう意味においては私の家は最先端の住居だったと言えるだろう。

ロフトは手作りだった。12坪貸工場というのをご存知だろうか。プレハブなのか、それに近いものなのかわからないが、屋根付きのガレージみたいな貸倉庫。東大阪市あたりにはこの工場がたくさんあり、ネジやさんやプラスチック加工屋、印刷屋さんなんかが、この貸倉庫を利用して商売をしていた。

ガレージとは違い天井が高く、商売をする目的でつくられている。

私はそんな貸倉庫に住んでいた。え?それって工場だよね。住まいじゃないよねという声が聞こえてきそうだが、まさにその通り。そこは倉庫であり、人が住むところではない。そもそも、人が住むのを法律で認めていたのかも定かではない。

そう、わたしの父は、その倉庫の天井が高いことをいいことに、工場の奥半分にロフトという名の住居を作ったのだ。わたしの記憶だと住居は2LDk。手前がリビングで奥が和室だったと記憶している。

シルクスクリーン印刷という印刷屋を営んでいた父親。独立したところで必死だったらしい。寝る間も惜しんで働き、下げたことのない頭を下げまくって仕事をもらって必死でやっていた。他に住む所を探すなんて発想もなかったのかもしれない。

ここに住もうってなったのだろう。

まあ子供の俺にとっては、そこは天国だった。ロフトからは下で働いている両親が見える。私には弟がひとりいるが、年齢的なことから考えると、おかんは乳飲み子をおぶって、働いていたと思われるが、残念ながらその絵は記憶に残っていない。
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ロフトの手前の部屋と奥の部屋は段差があった。そして、東側の壁には、シルクスクリーン印刷用の版が、はしから順番にならんでいた。その絵は記憶としてある。

そんな遊園地みたいな、ロフトが好きで、あさから晩までそこを走り回っていた。楽しかったなあという記憶だけがあるのだ。

そんなロフト。わたしにとっては、最高の住まいだったのだが、一点だけ、大きな問題があった。成長期の子供に被害をもたらすのではと思われる問題。そう、印刷屋のインクの問題だ。シルクスクリーン印刷に使われるインクは有機製剤。

インクのついた刷毛やトレイを洗うためにシンナーやアルコールおよび、なんちゃらという製剤を使う。もちろん、それは、ロフトにはなく、1階の工場で使われるのだが、残念ながらそれらは気化しちゃう。そして、それは全部上にあがりロフトに充満するのである。

そんなことは当然わかっていて、仕方なかったのか、気化するなんて知らなかったのかはわからないが、私は1年間、その気化した有機製剤をおそらく吸いまくった。なんとなく、ふわふわ、ぼーっとしているのは、幼少期のそれが原因ではないだろうか。

まあ、実際は大きな換気扇が工場についていたので、全てが気化してあがってくるということはないが、あんた、ぼーっとしてと怒られた時は、これを、実は子供の頃に有機製剤を・・・とごまかすときに使っている。

そういえば、中学の時、不良の間でシンナー遊びが流行っていた。シンナーを吸ってフラフラしている不良たちの横を通ったとき、こころの中で、おいおい、いまごろシンナーか?幼いなあ、俺なんて3才に始めて、もう卒業してんでと、つぶやいていた。

もちろん自分で吸っていたわけではないし、実際にどれほどの量が肺に入ったかは定かでないし、もしかしたらほとんど入っていないかもしれない。

だとしたら、脳の後頭部にある、謎の空間はいったいなんだろうか。この空間の話はまた書くことにする。

有機野菜はいいのに有機製剤は体に悪そう。有機ってなんだ。