友は言う。真剣に遊ぶことはとても大切だと。

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しっかり働いて、ガッツリ遊ぶという意味で言っているのではない。

彼が言いたかったのは、仕事も遊びも同じだということ。上手く遊ぼうと思ったら、現状を分析して、目標とかゴールに達するにはどうすればいいかを真剣に考えるよね、そういう意味において、なんら仕事と変わらないと俺は思うのだがと言っていた。

その話を聞いて、ある言葉を思いだした。レバレッジ・リーディングなど、レバレッジシリーズの本を多数出している経営コンサルタントの本田直之さんが、何かの雑誌かWEBのインタビューに答えてはなしたもの。それは老子の名言からの引用だった。何年も前に、その事を聞いて、いたく感銘した私は、それを座右の銘としていたのを思いだした。facebookの『好きな言葉』のところにも書いていた。以下引用

生きることの達人は、仕事と遊び、労働と余暇、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指す。仕事か遊びかは周りが決めてくれる。当人にとっては、つねに仕事であり遊びでもあるのだ。

引用終了。

『生きることの達人は』で始まっているところがいいよね。人はみな幸せに生きたいと思っているだろうし、いつも幸せを感じて生きられる人は、それすなわち達人ってことだからね。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指すってのがいいじゃないか。

徹底的にそれをやれば、それが趣味であろうと遊びであろうと、仕事であろうといいのだよ、ただただひたすら卓越することを目指せって言ってるんだよね。そしたら、ごめん、それお金出すから売ってだとか、授業料払うから教えてってなる。

いみじくも、私の仕事の多くはそこから発生している。自分がうまくなりたい一心で、プロや上級者がどうやって上手くなってるのかを探求していただけだからね。そしたら、ごめん、お金出すから教えてって人がでてきて、仕事になった。
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そういう流れがあったから、老子のこの言葉を好きになったのか、この言葉を知っていたから、そうなったのかは、今となっては定かではないが、まあ、座右の銘にそって生きているという意味では最高の人生であると言える。

俺はコーチングの勉強をしてきて資格をとった。だから、これからは、生き方に困っているあなたをコーチしますよ。つきましては半年に50万円払ってねっていったって、そこにお金をだすかどうかを決めるのはお客さんなのだ。

なんと、あの河村操が、個人教授をしてくれて半年で50万円って破格だぜって人は申し込むだろうし、おいおいふざけるな、おっさんなんぼのもんじゃってなれば、お客さんはピクリとも反応しないのだ。

資格をとったから、習ってきたから、そのサービスを売り出すなと言っているのではない。売りだしても売り出さなくてもどっちだっていい。商品を作って売ることをなんぴとたりとも止めることはできないのだ。どんどんやればいい。

でも、それを買うかどうか、それが遊びなのか仕事なのかを決めるのはお客さんということ。

なんと、公平なのだろうか。現在の日本において、それを止める法律はどこにもない。やりたければ、今すぐでもやれるのだ。コンサルタントをなのって、コンサルティング業務をすぐに始めることができるのだ。

そして、それが、商品になるかどうかは、お客さんが決めてくれるのだ。こんな世の中に生まれてくることができて本当にしあわせだ。誰にだって挑戦する権利があるのだから。

さあ、とことん遊ぼうぜ。