はなつ

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はなつ感じがある。

私は普段河村総合研究所というシンクタンクで所長権アナリストとして世の中の事象について研究分析し理論化している。それを私は世の中に解き放っている。そうはなつ感じだ。

ギブアンドテイクという言葉が昔からある。与えて、いただく。先に与えるのが大事。ところがクレクレという人が多くておかしい。そうではなくギブギブギブだと。与え続けていれば返ってくる。だからひたすら与えるのだ。

いやいや与えるは偉そうやろ。そんな感じではなく貢献するのだ。世の中に貢献することでそれがやがて返ってくるのだという教えを説く人もいる。最近ではギブギブギブそしてギブンだと説く人も出てきた。与えていればやがて与えられる。

それぞれの言葉のニュアンスから微妙に違う印象を受ける。giveを日本語に訳すと、与える、となり、何か上から目線のエラそうな感じを受けるがこれが実際に英語のニュアンスをとらえているかどうかわからないが、何となくちょっと上からな感じを私は受ける。

貢献するというのは非常にいい。世の中に貢献することでやがて自分にも返ってくる。

では私はどうなのかと考えた。いったい何をしているのか世の中に対して。与えているという感覚は一切ない。昔から誰々になになにしてあげるという感覚がない。人に対して何もしないということではない。お年寄りに電車内で席を譲る時に、譲ってあげるという感じがないという意味。席は譲るが譲ってあげるという感覚をもっていない。おそらく親がそういう感覚を与えなかったからだろう。かばんを持ってあげる、ごはんを入れてあげるという感覚がない。だから昔は何かをしてもらった時に、お礼をいう感覚が人より少なく苦労した。今ではめっちゃ感謝するようにはなったが。

貢献はどうかと思えばとんでもない。実際に貢献できてるかどうかは別にして情報を発信するときにそういう感覚はない。となってくるとと考えた時に、一番しっくりくるのは、はなつ、だ。さあ、みんな、みて〜、放ったから見て〜、役に立つかどうかわからんけど、見てほしい〜。って感覚が一番近い。

書いたら書いたでできるだけ多くの人に見てもらいたいというのはある。自己顕示欲が強いと言われることもある。実際にそうなのであろうとは思う。解き放つ。英語だったらなんだろうunloadって感じかなあ。さあ、放ったよ〜見てね〜って気分でこれからも放ち続けて行こうと思う。