碁盤の目

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京都市内は道が南北と東西に整然と並んでおり、その様子がまるで碁盤の目のようだと言われる。確かにそうだ。ところが実際にその地図を見ると碁盤の目には見えない。地図には道という線だけではなくそれ以外の絵が盛りだくさんだからだ。

それは道が縦横に割と正確に並んだ地図だ。

今日は京都で人と会っていた。京都以外のところから観光客がたくさん訪れている。そのなかの大学生と思われる4人組。その地図を見ている。壁に貼られた観光用の地図。金閣寺や京都タワーがイラストで表示されている。

地図の上には舞子さんが立っている。大文字の山も描写されている。それは地図というよりイラストに近い。その地図を前に先ほどの大学生の1人がつぶやいた。

「まるで碁盤の目のようだな」と。

私は思った。そうそう京都は碁盤の目みたいに道が並んでいるからとても解りやすいよ。京都で道に迷うようなら迷わないところはないよ、青年よ、よく知ってるじゃんと思ったの。でもその後、ちょっと待ってなんかおかしいと違和感が襲って来た。

なんだ、何がおかしいんだ。私は大学生の後ろを歩いていた。その地図の前で彼らは立ち止まった。私はその後ろを通過した。通過するときにそのイラストだらけの地図を見て、同時にその声を聞いた。なんかおかしい。なんなんだ。

その後あるきながらその違和感の原因を探っていた。

ついに理由が判明した。その彼は知っていたのだ。わたしがはじめに思ったその心の声「よく知ってるね」が違和感の原因だった。彼は知っていたのだ、京都の道が碁盤の目のように道が縦横に走っているのを知っていたのだ。

その地図を見てそう思ったのではきっとないのだ。なぜなら、そのイラストは碁盤を連想させるものではとてもなかったからだ。それなのにその大学生はその地図風のイラストを見て「まるで碁盤の目のようだ」と言ったのだ。

バイアス。脳の中の知識で判断して口に出たのか。その絵は彼の目には碁盤に写ったのか。

恋は盲目という言葉もある。

目の前のものを先入観なしに見るという事はおそらくとても難しい。