何でを続けることが自ら学ぶ人間を作る。

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秋の夕暮れは早い。

夕方の5時半に走り始めるとまもなく太陽は南西の空に沈む。京都と滋賀をわける比叡連山の稜線が黒くなり始めると燦然と輝く星が太陽と交代で昇ってくる。

金星だ。

宵の明星とよばれ昔から親しまれている。周りに他の星は見あたらない。そこに金星しか見当たらないのは金星がものすごく明るいからだ。太陽が沈んだのはつい先程。まだまだ西の空は明るい。他の星たちは、その明るさによりその存在を消されている。彼らが光り輝くのはもう少しあとになるだろう。

金星って、金星って言われるだけあって明るいんだなあ、ものすごく明るいから金星っていう名前を昔の人はつけたんだろうな、はるか昔に思いを馳せた。

そう思いながら金星に向かって走っていると、まもなくもうひとつ星があがってきた。金星は先程に比べて随分山から離れている。ああ、地球って回っているんだなと、それでも地球は回っているって言ったの誰やったかな、それと、この星なんやろうなと思った。金星は知ってたけどその次の星は知らんなあ。

私は走りながらポケットから、付箋を取り出し、ゴルフのスコアカードを書く専用の小さい鉛筆をとりだしメモに金星と書いた。ついでに、地球は回ると書いた。書かないと10キロ走ったあとで忘れてしまう。綺麗サッパリ忘れるならまだいいのだが、なんか気づきあったよなあと、何かに気づいていたことだけを思い出し、それが何だったか忘れるというストレスだけが残る最悪の事態になるのでメモは欠かせない。昨日はメモを忘れて散々な目にあった。

秋 南西の空 輝く星

とグーグル先生に聞いてみる。すると

あの明るい星は何?というタイトルの大阪市立科学館のサイトが2番目に表示された。クリックすると答えがのっていた。

最初にでるのが金星、その次の黄色いのが土星、そして3つ目の赤い星はさそり座のアンタレスだと書いてある。

それでも地球は回っているは、ガリレオの言葉らしい。ただし、本当に言ったかどうかは定かでないとある。まあ本当に言ったかどうかわからないが、天動説が正しいとされていたところに地動説を唱えて怒られたのがガリレオなんだったと思いだしたのでまあこれはこれでいい。

そこで思った。

子どもを軽四輪の自動車にのせて俺の横を走り抜けていったあのお母さんと5歳位の息子さんが、車の中でこんな会話をしていたらどんな展開になっていただろうかと。

「ねえねえ、お母さん、あの山の上のひかりなに?」
「えっ、どれ? ああ、あれね、あれはお星様だよ」
「おほしさま?すごいあかるいね」
「そうだね」

ブーン。

「あ、おかあさん、もうひとつでてきた、きいろ色?あれも、おほしさま?」
「ん? ああ、そうそう、あれもおほしさまだね」
「おほしさまはふたつあるの?」
「はあ?ふたつ、危ないからちゃんと座ってなさい」

ブーン

「あ、おかあさんまたでたよ今度は赤色」
このあたりでめんどくさくなってきたおかあさん。またはじまったよ何で攻撃が
「ほんとだね赤いね」
「おかあさんお星様ってなんで赤いの、黄色いの」
「ほんとだね、赤いねえ、ほら、さ、ついたよ」

子どもの何では留まることをしらない。それに全部答えていたら生命がいくらあったって足りないだろう、それは充分わかっている。でも、それをやるお母さんは存在すると思っている。例えばさかなくんのお母さん。もしこのお母さんがさかなくんのお母さんだったらどうだっただろうか。これはあくまでも想像だがやってみる

「ねえねえ、お母さんあの山の上のひかり何?」
「どれどれ、あ、あのひかり、さかなちゃん、よくきづいたね、えらいね、あなたは本当によくみてるわね。ああ、あれね、あれは星だよ。あれはね金星。宇宙ってのがあって宇宙にはね星がたくさんあって、今おかあさんたちが住んでいる、今はしってているここも星なんだよ。地球って名前の星」
「地球?」
「そう地球。おかあさんとさかなちゃんとお友達とおとうさんと、みなが住んでいるのが地球ね。で、あれは金星っていうなまえ」
「きんせい?」
「そう、ここが地球で、あれが金星」

ブーン

「あ、おかあさんまたでたよお星様。今度はきいろいろ」
「お、ほんとだね、さかなちゃんはえらいね、また探したのね。本当だ黄色いね、あれはなんだろうね、ちょっとまってねあの黄色いお星様はわたししらないからあとで調べるからね」
「うん」

ブーン

目的地について用事をすませたあと時間ができたらさっそくさかなくんのお母さんはググった。そしてそれが土星があること、そしてそのあとの赤い星がアンタレスであることがわかった。それをさかなくんに伝えた。するとさかなくんは星ってなに?と聞いてきた。星に興味をもったさかなくんと本屋にいった。そして「うちゅうのおはなし」という本を買い与えた。

これは完全にフィクション。さかなくんのお母さんならこうするのではないかなあと勝手に想像して書いた。

さかなくんのお母さんが、学校の先生との面談で、先生から、さかなくんはさかなのことばっかりして勉強をしませんと言われた時に、あのこがすきでやってるのだから、それはやらせてあげてください、やらせてあげたいんです、というようなことを言ったらしいのだ。

学習の基本はそこにあるのではと思う。

どんな分野だっていい。それを突き詰めて行けば、どんどん疑問が起こってくる。単純に考えても国語力はのびる。知りたければ誰かに聞くか、本とかインターネットで調べるしかないからだ。そのほとんどは文字で構成されている。より多くの情報を求めれば、文字がよめなきゃしょうがない。子どもに漢字覚えなさいとドリルをわたすより、宇宙の本をあたえたほうがよほど効率がいい。

大人だって同じだ。

俺の話で恐縮だが、俺はゴルフがうまくなりたくてしかたない時期があった。あるゴルフ雑誌でNASA出身の科学者でゴルフコーチってひとが誌上レッスンをやっていた。そのレッスンに猛烈にはまったわたしはそのコーチのレッスン書を読みたくなった。ところがそれは日本語に翻訳されていなかった。どうしても読みたかった俺は、その本をとりよせ英語と格闘しながら読んだ。
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ものすごい分厚い本。参考書なみの厚さだったが、俺は読んだ。知りたい欲求が、英語がめんどくさいというのを超えていたから、一気に最後まで読んだ。読み終わったら、俺の英語はすこぶる上達していた。

英語がわからないと読めないからそこには必然の学習があったのだ。宇宙に興味をもったその少年は、日本の文献にあきたらず、NASAの学者の本を読みたいとなった。どうしても読みたい少年は「おかあさん英語ってどうよむの?」って聞いてくるかもしれない。そのタイミングで英語を教えれば、それほど効率がいいことはないだろう。

友達のあっちゃんは今でも何で?がとまらない。

未知の領域にであったときのやつの目の輝きは少年そのものだ。彼は学習をやめない。気になったことがあったら、それ関連の本を5冊くらい買ってきて学び始める。両親がえらかったのだろう、今度どうやって育てたか取材してみよう。

世の中のおとうさんおかあさん。

めんどくさいだろうが、子どもの何で?にとことんつきあってくれ。それが天才を、秀才を生み出すのだから。忙しいので難しいとは思うができるはんいで可能な限り