究極の上達法を発見

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ゾーンという言葉がある。

スポーツ選手がごく稀に、この状態に入ったとインタビューで答えている「無意識だった」「あまりよく覚えていない」「気づいたら終わっていた」などとその時の状態を説明していたりする。

まあ、そこまでの状態にならなくても、試合や本番で考えながら動いているようでは遅いでしょうね、きた球に体が反応するとか、一瞬で全体を把握してパスを出すとかなんか、考えていたら間に合わない。

私レベルでもある。ゴルフのアプローチは文字どおり距離感。どれだけあげて、どれだけのスピードで振り下ろそうかとか、素振りでは考えるけど、実際打つ時はそんなもの忘れている。忘れたほうがいい結果がでる。ロングパットなど、これくらい振り上げてとやるが、打つ寸前は全部忘れる、ああ、せっかく素振りで距離感作ったのに、もうわからんわ、えい。とやった時のほうが近くに寄ったりする。ゴミ箱にゴミを放り投げるのに腕をどこまであげてとかやらないのとよく似ている。

そう、本番は、ほとんど無意識なのだ。その方がうまくいく。だったら、意識して、体をこう動かそうとか、このあたりに腕を持って行ってとか考えるのは無駄なのかというとそんなことは全然ない。それが今回の発見でもあるのだが、私たちが考えて理論や理屈を考えて何回も練習するのは、

次の無意識のときに、正しく動いてもらうためなのだ。

結局、やったことある動きが本番ではでる。やり慣れた動き、無意識で出る動きが本番にはでる。体の動きは脳の命令で動いている。脳は過去の経験によりその動きを作るので、本番でやったことのないような動きはでないのだ。ゴルファーが必死でスイング改造しても、本番では元のスイングに戻ってしまうのもそのせいだ。書き換えには時間がかかる。
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だとしたら、やりようはものすごくある。練習で徹底的に、動きを正確にするのだ。しっかり考えて、理想的な動きを徹底的に作る。

これって当たり前のようだけど、この考えが正解と仮説を立てて、練習ど本番を迎えると圧倒的にパフォーマンスが違ってくる。本番のように練習し、練習のように本番を迎えるというような教えもあるが、そんなことは考えなくていい。丁寧に徹底的に理想の動きを身につけるために死ぬほど意識して練習して、本番ではそんなこと、頭で考えたことなんて、一切忘れて、無意識で本番を迎えるのだ。

本番では、きっとまだまだ結果が出ない。だからと言って、本番で、練習の時のように意識してやってはいけない。もう諦めよう。あなたの今日が、あなたの本番が悪いのは、練習によって身につけた動きが、無意識で正確に使えるレベルにはなっていないだけだ。今日は諦めて、帰って練習しよう。

これはプレゼンにも全く同じことが言える。僕はプレゼンやる時死ぬほど練習するが、本番では、脚本や、構成など一切忘れてステージに立つ。体が勝手に話し出すのに身をまかせる。だからか、終わった後、やったったぜ、すごかったやろ、面白かったやろとかは全然ない。どうやったんだろうな、まあ受けてたから、皆真剣に聞いてくれてたから悪くはなかっただろうなあくらいの感触しかない。

無意識なので実感がないのだ。だから練習不足で臨んだ本番はごまかしがきかない。ワタワタになる。そんな時、練習を思い出し、構成を思い出しごまかしながらやることもできるが、そんなプレゼンは、紙に書かれた原稿を読むスピーチのようで、全然心を打たない。やめた方がましだ。

感覚派の天才と、考えながらやる理論派に分かれると思っていたが、実は、こんな風に本番に臨んでいる人もいるのではというのが、今回の発見だ。この考え方をし始めてからメンタルの不安は全くなくなった。うまくやろうという考えがなくなったからだ。

ある意味開き直りに近い。もう今さら何をやっても遅いのである。練習不足だと諦めるしかない。これに伴う考えになるのだが、同じ意味で今日は結果を出そうぞとやることはまずない。

絶対に結果を出すぞというのは普段の取り組みで考えることで、本番で結果を出そうとしてはいけない。本番は無意識。結果は出すものではなく、出るものと形を変えているのだ。

そう考えると、本番で頭が真っ白になるってのは、まんざら悪いものでもないとも言える。真っ白になるのが問題ではなく、真っ白になった状態で、うまくできないのが問題なのだ。練習は裏切らないと、トップアスリートがいうのはそういうことだと思う。

頭でっかちやなあとお悩みの諸君。それは決して悪いことではないのである。