ライターと小説家の関係は、デザイナーとアーティスト、ピアニストとピアノの先生の関係に似ているような気がする。

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ライターになった。

苦節3年11ヶ月。ついに、おまえの文章にお金を払ってあげるよと言う人があらわれた。1日8000字をほぼ毎日4年弱書いてきて、ようやく直接的な価値を産みだしたのだ(過去に2回だけ記事を500円で買ってもらったことがある)

文章を書くプロになったのだ。これほど嬉しいことはない。朝から晩まで文章を書いてきた。コンテンツマーケティングに使用するコンテンツを書いてきているので、もちろん、それが間接的には価値を産みだしているが、文章を買うよというのとはまた違う。何とも言えない、何かがある。

これにより、前にもまして、書くことにフォーカスできる。コンテンツマーケティングのコンテンツを作っているので、それが間接的に売り上げを上げるのはわかっている。ところが、それが直接的でないのが、ちょっとつらい部分があった。

まして、8000字のうちの2000字は小説を書いている。これは間接的どころか、1円も産み出すことなく、ただただ時間を浪費している趣味の域を超えない。おいおい、もしかしたらこの1週間の56000字は、何の価値も産んでないのではと、心苦しい事がある。

実際は、産んでないのではではなく、産んでないのだ。ネット上のコンテンツはその9割がブラックホールに吸い込まれ人の目にまったく触れずにネットという宇宙のもくずとなる。なので1週間どころか、1ヶ月も2ヶ月もまったく意味のない活動をしていたということも全然ありうるのだ。そのきつさとか、辛さから少し開放される。

書いたモノを確実に買い取ってくれる流れができたからだ。これは何物にも代え難い気がする。

ここでライターと小説家の関係を見てみることにする。ライターになってはじめて気づいたのだが、これってデザイナーとアーティストやピアニストとピアノの先生の関係に似ている気がする。ゴルフのトーナメントプロとインストラクターとか。
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私は知り合いにアーティストが多いが、彼らの多くはデザイナーもかねている。デザイナーは、基本的にクライアントの依頼により製品というか商品というか作品を作る。こういう感じのをつくってくれと言われる。だから、自分の思いでつくるアートとはまったく違う。ピアニストもそんな感じだろう。

ピアニストとしてリサイタルは自分を表現するが、先生となるとそうではない。どうやって、弾くかを生徒にあわせて教えていく。

ライターと小説家も同じ。ライターはクライアントの依頼によってはじまる。こういう事に関して書いてくれというものによりものを作る。基本的には自分の書きたいことやモノを書くことはない。小説は違う。もちろん、こういうのを買いてと依頼がある場合があるが、基本的に自分が書きたいモノを書けるのだ。

最終的に小説家になりたい私にとって、書くことに関してアマチュアからセミプロレベルになったことは、非常に大きな意味を持つ。

小説家になりたいと思って、ひたすら書いてきたことが、結果、夢の後押しを少ししてくれたというのは計り知れない喜びだ。いっそ精進して書きまくろうと思う。

あなたの思いって、なんですか?