脳の中にある無限の知識や知恵は形になっていない何らかの状態で保存されていると僕は思うんだ。
それを表に出す方法のひとつとして言語がある。50音がつらなった糸を脳の海のなかの深い部分に垂らす。50音を組み合わせた糸を垂らし脳の中にある50音を言語という形にならべて引っ張りあげてくるイメージだ。その糸がたくさん入っているのが本だ。
本は面白い脳の中に知識を植え付ける貯めていくのも本だが、それによってできた脳の中にある知恵を引き出してくるのも本なのだ。俺は一時本を読む量を極端に減らした時があった。かなりの量の本を読む時期があったので、その分野ではしばらく知識は必要ないのではと思ったからだ。ところがそれは間違いであったことに気づいた。
それは前述のとおり。知識を増やす必要のなかった俺に本は必要なかったが、釣り糸が必要な俺には本が必要だったのだ。久しぶりにその分野の本を読んだ時に、何本も垂らした釣り糸に大量の知恵という魚がかかったのだ、もじどおり大漁である。
釣り糸として使った本は同時に知識を増やすことも兼ねている。そのスパイラルに気づいた俺は再び本を読むことを始めた。今まで実用的でないと思っていた小説も読んだ。その中には大量の釣り糸がぶら下がっていてビジネス書の比ではなかった。言語が知識として入り言語により引き出され知恵となる。
知識が詰まっている素晴らしいものとして本を捉えていた私は、その中に50音でできた釣り糸をみつけますます魅了された。