よい結果を出すぞと意気込み、出た結果を受け入れる姿勢を持つ人は成功する

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絶対によい結果をだすぞ、成果をあげるぞと意気込み始める必要はある。

目標設定だよね。本田圭佑がセリエAにはいると文集に書き、イチローがプロ野球選手になると何かに書いたというのがそれだ。だから多くの自己啓発では目標設定を大切にし、夢をイメージさせたりする。その方法は間違っていないし、絶対に必要なものだ。目標を設定すれば潜在意識がそこに向かうから、ひたすらイメージしろというのも間違ってはいない。

だからといって、目標、目標と言ってたって、イメージして、念じてたって、動かなければ絶対にそこにはいけない。

目標達成をなす奴は、動いている。イチローなどもはや目標なんてないのではないのかというほど日々やるべき事をただただひたすらやっている。それをやることが目標に到達する唯一の方法だと知っているから、もはや目標なんてどうだっていい。結果を出すぞと意気込むことはもはやないヒットを打つぞとすらきっと思っていないと思う。

3000本安打を達成したときに、今の思いをと記者から聞かれた時、私は失敗した6000本あまりのアウトに思いを馳せていた見たいな事を言ってた。言いたいことはすごくわかる。

野球を始めたときは、イチローもヒットを打つぞと始めたはずだ。アウトを減らすぞと打席にはいる子供はおそらくだがいない。内野の選手にボールをとられないように野手のあいだを抜くのがヒットだよと知ったら、それを打とうと普通は思うのだ。

ほとんどの人はそれをずっと続けていくのだが、イチローは早い段階で、上手く打てない原因を見つめ、それをしないようにするにはどうすればいいのかに注力したに違いない。悪い結果、つまりアウトになったのはなぜか、次の打席でそれをやらないようにしようと、ひたすらバットを振ってきたのだと思う。

目標を達成するぞ〜、結果を出すぞ〜ってやるのは全然いいが、無意識がそこに持って行ってくれるというのもいいが、それにプラスして、やるべきことを決めて、それをやるという具体的なものもやったほうが目標に達するのは早くなると思うのだがいかがだろうか。

結果を出すぞと意気込みスタートしたら、あとはただひたすらタスクに落とし込んでやる。それにより発生した結果は、あくまでも結果なのだ。その結果を分析し日々のタスクに変更を加えてまたやる。それを繰り返すことがよい結果がでる唯一の方法だ。

哲学的で抽象的でもうしわけないが、

結果を出すために始めるが結果は出すものではなく出るものである

自然をこよなく愛する平成の思想家、河村操然(かわむらそうねん)が説く、結果を出すための唯一の方法である。

人間は考えてから動いているとほとんどの人が思っているが、実は、先に動いた後に、その行動を言葉で説明しているのだという考え方もある。もしそれがそうだとしたら、考える前に動くその行動の精度をあげるために、日々努力しているのだというとらえ方ができる。

コースにでたときに、グリーンが見えたら、弾道が脳の中にイメージとして浮かび上がり、そう思った瞬間からだが動き始める。クラブをにぎりボールに近寄りアドレスにはいる。きづいたら打ち終わっていて、イメージどおりの球が綺麗な弧を描いてピン横30センチに落ちる。

そのためにひたすら考え練習するのだ。

プレゼンやるときは脚本を書いて100回練習して、本番では、すべて忘れて舞台にあがる。脳が考える前に、口が話し始めるのだから、本番では考えたって意味がないのだ。
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(写真はイメージです。神戸ワイナリーの夜明け、ブドウを望む下弦の月)
ゴルフで完璧なショットを打ったとき、どうやって打ったか覚えていないし、最高のプレゼンができたときは、おわったあと、それがよかったかどうか、自分にはわからないという感覚が残るのはそういうことなのだ。

多くのトッププロはこういうことをまちがいなくやっている。形式知化するとこんな感じになるが、ほとんどのトッププロはこんなことは考えず、感覚的にやっている。

哲学者的雰囲気をかもしだしているアスリートな本田圭佑、中田英寿、イチロー、為末大や武井壮なんかは、わかってやっているタイプのアスリートではないかと想像する。

わけのわからない部分を深掘りしているので、ほとんどの方に共感されないものとなるだろうが、私にとって、生きていくための生命線とも言える部分が形式知化言語化できたので備忘録として残しておくことにする。