それでも僕は書いて話す

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おおおお、ついにきた。書くことってこういうことだったのだ、俺はついに書くことの本当の意義を見いだした、本質にたどり着いたぞと書いた記事『絵を描く。文章を書く目的は相手の脳に絵を描くことだった』は1200文字書くのに要した時間は1時間。にもかかわらずほとんど読まれず20時間経過した現在のPVはわずか21

おそろしいほど、悲しくなるほど不毛だ。それでも僕は、書く

書く

書く

たまにはこんなのも描く

書くだけではなく、僕は話す。

書くよりも話すほうが実は得意だ。信頼できるともより「みさおさんは話芸の人だ」と言われたこともある。人前で話すのは上手いかどうかは別にして自分では得意だと思っているし好きだ。今も昔もいろいろな場所で話す

話す

話す

歌う

話す

という感じで、日々書いたり話したりしているのだが、実はこれ伝達手段に過ぎない。そう、書く話すは、何かを伝えるための手段なのだ。ということは、僕は日々、何かを伝えまくっている。これだけ書いて話すことがあるってことだ。では、一体僕は何を伝えようとしているのか。

思考でできたコンテンツだ。

何かに出会い、何かを見る。それが脳内にある経験や知恵と混じり合う。形のないふわっとしたものが浮かび上がり、やがてそれがアイデアとか思想になる。しょうもないものもあるが、たまにこれはと思うこともある。ただそれはあくまでも絶対的なもの、完全に主観なもの。

そもそも思考は主観でしかないから、それをだすしかない。

おもしろいと思ったものを話し、書く。

<h3>プラネットアースがお手本
NHKで今プラネットアースという番組をやっている『プラネットアースⅡ

とくに動物が好き、自然を愛しているなんてことはない。何やったら虫なんか見たくもないほど嫌いなのだが、いきなり画面に現れるバッタに夢中になる。ナレーションにひきこまれる。これがすごいコンテンツの力だ。

興味がないこと、嫌いなことでもその内容がおもしろいなら、なにかがあるなら人はひきこまれるのである。このブログではたまにゴルフのことサーフィンのことを書くが、書いた途端にアクセスがおちる。もちろん興味がある人が少ないからだろうが、ゴルフの記事を、プラネットアースの専属メンバーが作ったらどうなるのかなあと思うと、ちょっと見てみたい気もする。

論理的で構造的

プラネットアースの番組はおそろしく論理的だ。前提の作り方が秀逸だ。

世の中の大半が思っていることを、こうだよねとまずやってくる。実はそうではなく、こうなんだよねってくる。ほほーと思わせたらもうこっちものだ。視聴者の心をがっつりつかんでいる。

その後も理論、根拠、証拠、事例をつきつけてくる。なるほど、と引き込まざるをえない。構造がしっかり組み立てられている。書く話すが伝達の道具なら、コンテンツを作るのは論理と構造だ。論理的に考え構造を考えてコンテンツを作る。

世の中の、おおと思うのが論理や理屈に基づいてできている。自然界だってそうだ。プラネットアースによると、コウモリは普通飛びながら虫を食べる。砂漠には虫がいないからコウモリは食べられない。食べられないと死ぬから、何か他の食べ物を。そこでコウモリは、砂漠にいっぱいいるサソリを食べることにした。コウモリは地面にいるので、そのコウモリはなんと地面を歩く。

結構器用に歩く。コウモリは耳をすませてサソリが動く音を頼りに探す。僅かに動いたところをコウモリはとらえ、サソリを食べる。気になるのが毒だよね。サソリには時に人間を死に至らしめることもある猛毒をもっている。コウモリがサソリを加えた瞬間、針でコウモリを刺した。

だめだ、コウモリは死ぬぞ。

死なない。このコウモリは生きていくために、サソリの毒に対して耐性ができたというのだ。

なるほど

こんなドラマを見さられたらみいざるを得ない。自然界にはぐくむ完ぺきな論理を、プラネットアース制作スタッフの完ぺきな理論で届けられる。もうお手上げとしかいいようがない。

ブログの記事なんて、何かについて話すプレゼンだって、こうでなければ読んでもらえないし聞いてもらえない。

砂漠は不毛の大地だが、記事を書くこと、話すこともそういう意味で不毛な部分がほとんどだ。そんなことはわかっていて、知っていて、感じている中で、コンテンツを磨き、伝える手段である書くこと話すことを磨くってのが、どうやらとても大切なようである。

多くのビジネスマンがもつべき必修なスキルではないかとふとおもう。