口八丁手八丁ですらなかった俺

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正月、実家に帰った。親父はかげで俺のことをペテン師とよんでいることが判明した。友達のうちのひとりは、ホワイトボードにマジックで何かを書いているだけの講釈たれだと言った。セールス時代はクライアントに詐欺師とよばれたこともある。

先日コワーキングスペースで書類をつくっていたら、横にいたコンサルタントが、できあがった企画に対して、知識を振りかざし、ああでもないこうでもないと偉そうに言っていた。おいおい、俺の仕事がこれと同じとしたらとんでもないなあ、いや、きっと同じだからとんでもないんだなと思った。

2017年もしっかりクライアントさんをサポートしていこう、支えていこうと思ってた矢先のトリプルパンチにすっかり出鼻をくじかれた。運動が苦手で勉強が好きではなかった俺はただひたすら物事に対してなんでなんでと生きてきた。そのまま大人になって、できあがったものを、それを本当に必要としているかどうかわからない人に、これって本当に必要なんですよと売り込む、口八丁手八丁の仕事をしてきた。

5年前にコンサルタントに転向し、営業マン時代よりもっとなんかあかんのんちゃうかなあと思っていた感じの原因が3日前に判明した。口八丁手八丁から、なんと口先三寸のビジネスになってしまったからだった。

頼まれもしないのに世の中の不思議を分析する。しかもなんの資格も、たいした知恵ももたないおれが完全主観でやっている分析。その結果をまた頼まれもしないのに、記事にしてアップする。大きなお世話でしかないからだろうか2ちゃんねるには自己顕示欲の塊だと書かれたこともある。まあ、頼まれもしないのに、こうやでああやで書くのだからそう思われてもしかたないだろうが、そこは間違っている。全然自己顕示するつもりはない、そんな必要はないからね。
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もはや、とっくに承認欲求はない。自分のことは自分でよくわかっていて、思い切り自己肯定している。自己肯定感が高いというとそれを自己評価が高いとか自己マンだとするひとも多いが、そういうものでは全然ない。評価が高いというのと肯定するというのと全然違う。評価なんかしていない、自分を肯定しているだけだ。

自分をもし世間が評価がするとしたら、自分が思っている以上に低評価だというのを知っているし体験している。知識のすべてを投入して知恵の限りを尽くして考え抜いて発表した答えが、クソみたいだねと言われることが普通にある。自分の実力はその程度だって知っている。それを肯定しているから自己肯定感が強いとなるのだ。卑屈にもなっていないし、あきらめてすねているのでもない。

今はこんなものだけどしゃあないやん、こんなもんやねんから。この程度やねんから。せやけどもうちょっとちゃんとがんばらなあかんな、だからしっかりやろうって感じで生きている。

それでもコンサルトして生きているのは、わたしのはこの程度ですけどどうですか?とやっているからだ。この程度だから、この程度の額ですけどいかが?よかったら使ってってやっているからなんとか飯を食えている。もしもっとお金が欲しかったら、この程度のものを、あの程度まであげる努力をすればいい。あの程度まであがってよくなったなあと思ったら、あの程度の金額まであげてくれるだろう。

セールス時代の口八丁手八丁から、コンサル時代の口先三寸は、手八丁を使わなくなった分あきらかに仕事の質を落としているが、それでも、それを30年近くやってきたので、もはやそれ以外で食い扶持を稼ぐことは不可能だ。

先日友達に、キンドルの辞書機能はおそろしく使えるし役に立つというのを力説する際に、自分ではキンドルのことを一生懸命説明しているのに、友達は一向に反応せず、ポカンとした顔で俺を見ている。かんのいい友達なので、なんでわからんねん、これやん、キンドルやん、キンドル、あなたもっていないけど知ってるよね、キンドルやでキンドルと何回キンドルって言うたかわからんほど言っていたのだが、言っていると思ってたのは私だけで、実際私はキンドルと言ってるつもりでアマゾンって言ってた。

アマゾンあるやん、ほら、電子書籍の、本読めるやつ、あのアマゾンに辞書機能がついてるやん、単語を長押ししたらでてくるやつやん、ほら、アマゾンについてるやんって言ってしまってた。

もうだいぶ脳がやばいのだ、思い込みが激しいのだ。ここからまったく違う職業に変更する勇気と頭がない。だから、だましだまし口先三寸で生きていくしかないのである。

この世には圧倒的な天才がいる。彼はすごい文章を書く。そんなことは前から知っていた。彼はもともとプロなのですごいなあと思っていたのだが、俺もまあそこそこかけるとおもっていたのだが、その違いを明らかにさせることがあった。

彼と同じ題材で書く機会があったのだ。あることをある人達に伝える文章を書く機会があって、彼と俺が書いた。まあまあがんばって書いたのだが、愕然とするほどの違いがでた。違う題材で書いていたら目立たなかった優劣が、同じのを書くことで明白になった。おいおい、おれ、だいじょうぶかとおもった。あかん、最悪や、もうやめよとはなってないよ自己肯定感が高いからね。

おもしろいとおもった。如何ともしがたい差なのかと思ったりもしたが、そんなものはわからないからね。まあ、しっかりもっと読んで書いていくしかないからね。書かなきゃ俺の商売はなりたたない、生きていけないってことになるからね。

結局その程度なのです。

その程度のことしかできない私なのですが、生きていくためには、その程度の度合いをあげていきながら、現在の程度にあった価格をいただいて生きていくしかないのです。

今もし23歳位だったらこの口先三寸の仕事を選んでいないかも知れない。なんかを作る手を動かしまくる仕事をしていたかもしれない。実際問題として30年前に戻ることはできないので、口先三寸に磨きをかけていくしかないのである、たとえそれがしょっせんその程度であっても。