自己評価

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自分で自分を評価して生きて行くのが至極真っ当な生き方だと思う。何がいいだろう、そうだ歌にしよう。あなたは自分が歌いたいと思う。そしてそれを披露したいと思ったとする。自分の中に何か伝えたいものがありそれを詩にメロディーにのせて世の中のより多くの人に伝えようと始めたとする。

大阪駅の歩道橋の上で歌い始める。もちろん自己評価を最大限にあげる。自分の中でこれは最高のものだというものを披露する事となる。そこそこだけど世に出そうという考え方もあるが、これは現時点での100点だってものを披露したほう熱いのでそう言う事にする。

そうした場合、当然次に出てくるのが他人の評価である。あの程度の歌をよく披露したりしたなとか、いいねえとか。その人の心に響いてその人が感動した結果、前にあるギターケースにお金を投げ込むかも知れない。ひどすぎて1円も集まらないかも知れない。

大音量過ぎて付近の住民に迷惑がかかるのはだめだけど、その音が車の騒音に消されるようなレベルなら歌い続ければいい。迷惑な人は怪訝な顔つきをしながらその場を立ち去ればいい。

みんなやりたい事をやればいい。他人の評価は結果だ。自己が100%だと思えばそれを表現すればいい。人間には表現欲というものがあると作家の森村誠一が言ってた。いいと思えば歌でも絵でも文章でも売ったら良いのだ。いくらにしたっていい。10曲入ったアルバムを1000円で売ろうが2800円で売ろうが買ってだ。

自費で制作した歌や文章を売るのはどうなのか自費出版はやめたほうがいいとかという声もある。でもそれは本質をおおきくはずしている。書いた文章を売るという行為に自費出版も商業出版も情報商材もない。同じである。誰かが文章を書いてそれを売る。弁護をしてその報酬をもらうには資格が必要である。人のお腹を切って盲腸を取り出すにもお金が必要である。

文章や絵や歌を売るのに資格は必要ない。誰でも売る事ができる。自費出版の本やキンドルで売られている本を買う時に注意が必要なのはそれがプロの編集者や校正かの目を通っていないからだ、だから誤字脱字がまんさいであったり、論理的な意味が通っていない文章で書かれている可能性が非常に高いからだ。

自費出版だから良くて商業出版だから良いというのではない。商業出版が良いのは、何人ものプロの目がそこに入っているからだ。出版社は本を売る事を生業としている。だから出した本が売れないと話しにならない。売られる事に耐えられる本なのかをものすごい高度なチェックをしている。だから良い本である可能性が高いのである。

だからキンドルの自費出版を買うよりは本屋で売られている本を買うほうがよい本に出会える可能性が高いということなのである。言いたい事があれば書けばいい歌えばいい。評価は自分ですればいい。他人の評価なんて結果に過ぎないのである。