マーケティングとサーフィンと哲学と、というタイトル。

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最後の晩餐、何がいい?って話がたまにでる。その時に3つあげる。

『餃子とヤキソバと餅』

この3つが3度の飯より好き。3という数字は、今日お伝えしたいことは全部で3つとか、言うといいよということからも、どうやらいいようだ。

ブログのタイトルは変更しまくっているが、今回の変更は、俺の好きなモノって3つあげるとしたらなんだろうと思って書いたもの。もちろん家族とか親とか子供とかは当然なのだが、なんか、それをあげるのもというのと、やはり、ビジネスにツナガルほうがいいという意味合いも考えて、この3つになった。

まあサーフィンはわかる、サーファーだからね。となると、あと残りということになるのだが、マーケティングとか哲学とかいきなり言われても、ほんまにお前、そんなに好きなのって感じだが、このマーケティングは、俺好きだなってのがわかった。というかずっとやってきた。

例えば、日本にまだコンサルタントという職業が根付いてなかった20年ほど前、ひとつのビジネスを思いついた。

並び方とか列についてだ。

大学時代にカナダに行った時に衝撃を受けた。ファーストフードのハンバーガー屋さん。レジが4つあるのに、みな1列にならんでいる。今でこそあたり前のこの、1列並びというのか、フォーク並びというのかを始めてカナダでみた。

脳天を突き抜けるほどの衝撃をうけた

「なんじゃこれは。なんと合理的なんだ」

これが文化の違いか、カナダ人というのは、なんて合理的なんだと驚いた。海外はそれが始めてだったので、アメリカでもそうなっているのを知る由もなく、ただただ、カナダのそれに衝撃を受けたのだ。まあ、その後カナダには1年近く住み、それにもなれ、すっかり忘れていたのだが、帰国して何年か経った時に、東京に行って、再びそれを思い出すことになった。

大阪ではそのころ、まだトイレはそれぞれの列の後ろについてならんでいた。できるだけ早く用をたすには、基本的には人数が少ないところにつくべきなのだが、俺は、単純に人数を数えるのではなく、できるだけ若い子が並んでいる列を選んだ。

列に並んでいる男たちの年齢を予測し、それを頭のなかで合計する。10才、25才、18才、18才の列は4人で、合計は71才。50才、60才の2人の列は、合計110才。

ここは迷わず4人の列につく。

10才のガキのお小水は、驚くほど短時間だが、60才になると、お小水が出始めるまでに、かなりの時間を要するし、結末もスパッといかない。切れが悪いと一般的に言われるが、なかなか便器を離れようとしない。結局おっさん2人は、若い子の2倍以上要し、あっというまに抜かれてしまう。4人の列についた、わたしは正解だということになる。

先日50才を迎えたわたしは、後から隣の便器についた若者に、簡単に抜かれるということは言うまでもない。

さて、このトイレなのだが、東京に行った時になんと1列に入り口に並んでいたのだ。おどろいた、そうだった、おれはカナダで、これに衝撃を受けたのだとその時に思い出したのだ。そのあと、しばらく東京にいたが、ファーストフードの店も、ATMもそうなっていたのだ。

特に、これはと思ったのがATMだ。トイレほど、その動向を上手く予測できない。1人1案件と決まっているわけではないので、ここは2人だから早いだろうとついた列の、前の奥さんが、5箇所に振り込むということも平気で起こる。

ある程度読みはするが、なかなか上手くいかない。そのATMでの1列並びを見た時に、ここほど機能するのはないだろうと痛く感動したのだ。

そして、その当時仕事で石川に住んでいたわたしは、これは商売になると思ったのだ。この並び方を、石川県の銀行に売り込めば、お客さんのストレスを軽減できる。他行に先駆けて行なえば、あそこのATMはストレスがない。早くその場所に着いた人が、あとから来た人より間違いなく、先に使うことができる。

3台も4台もあろうものなら、一番右端のATMで社長夫人が6件のお得意さんに振込しようが、全然関係ない。残りの3台が回れば問題はまったくおきない。これってすごいメリットだ、これを銀行に売り込めば。

と、そう思ったのだが、その当時のわたしには、コンサルタントという、アイデアをお金に変える職種や業種があるなどの発想はまったくなく、そういう情報にアクセスするという考えもまったくなかったものだから、で、いったい何を売り込めばいいのだと行き詰まってしまったのだ。

今のわたしなら、すぐにでも会社を辞めて、コンサル会社を立ち上げ、石川県の銀行を皮切りに、北陸の残りに2県、富山と福井を回り、1列並びが普及していないほとんどの県の銀行を回っただろう。

残念なことに、その時はコンサルティングという仕事をまったく知らなかったので、売るとしたら、何をうるんだ、1列並びにわける時に使う↓
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こういう案内板とか分けるためのロープ付き土台とかを売るしかない。業者に頼んで仕入れて、それを売るのか、そんなことできるのかと、結局実現しなかった。

今でこそ、あたり前の脳の中にあり、それを売ることを生業としているのだが、その当時はそんな発想まったくなかったのだ。もしかしたら、そうとうな財を築いていたかも知れない。

もう1点例にだすと、ファイトクラブという映画を見た時だ。主演のブラピがかけている、おおぶりの、レンズの色が少し薄いサングラスをみて、ものすごく、かっこよく、おしゃれだと思ってしまって、それに魂を奪われた。

そのころ、日本に、そんなサングラスはひとつもなかった。小さめの、レンズで、しっかり黒や、茶色、ミラーのレンズがついた、やつしかなかった。

ギャルが好んでかけているおおぶりのサングラスは、その当時はまったくなかったのだ。これって、絶対日本に持っていたらはやる。顔が欧米人に比べて大きい日本人に絶対にあう。顔が小さく見えるから間違いなく売れると思った。

もちろん、そこでそれを商売にする気はなく、ラインのアイデアは、俺も昔思いついてたとほざいている、人間と大差がない。俺って、すごくないというつもりはこれっぽっちもなく、世の中をそうやって、色々分析するのは、これはもう3才の頃から染み付いている資質なんだよってことを言いたいのだ。

なので厳密に言うと、それが商売になるかどうかを考える前に、気づいたら分析に入っているので、タイトルに、マーケティングを入れる代わりに、分析か、アナリストといれるべきなのだ。

ところが、さきほども書いたが、このブログを商売に絡めるとすると、マーケティングのほうが、断然いいし、アナリストとなると、金融アナリストをイメージする人が多いので、今はアナリストという言葉は使えない。

マーケティングには必ず分析という行動が伴うし、お金が絡む事を分析するのは、マーケティングの1つとも言えるので、そういう理由から、すきなものとしてマーケティングをいれたということなのだ。

その中で圧倒的にとくいなのはコンテンツマーケティングだ。facebookにも書いたが、サーフィンを上達したいという中級者に向けてかいたブログは丸9年たつ。最初から商売にするつもりはまったくなく、ただただ、上手くなれなくて困っている人たちに、価値のある情報を届けようと思ってやってきた。

それが、そのままコンテンツマーケティングの手法であり、インバウンドマーケティングなのだ。インバウンドとは、お客様のほうから、こちらにアプローチしてもらうこと。商品やサービスをいきなり売り込むのではなく、まずは、価値のある情報を提供して、きてもらうというのが、インバウンドマーケティング。

そのときに、主にコンテンツを使うので、コンテンツマーケティングとインバウンドマーケティングは同義なのだ。

そうやって、過去を振り返ってみると、俺はコンテンツーマーケティングをほぼ10年やってきたことになる。とくにこの3年は、コンテンツをつくるために1日8000字も書いてきた。実践型のマーケターとしては、申し分ないやんけ、名乗って何が悪いのだと思い始めたのだ。

すこし付け加えると、この実践型マーケターの何がいいかというと、結果をすぐに得られることだ。マーケターのひとつのジレンマとして、しかけたマーケティングの反応を得るのに時間がかかったり、もしくは、それがマーケティングの結果なのか、セールスの結果なのか、はっきりわからないということになったりというのがある。

製薬メーカーのセールスマンとして従事してた時に、知り合いのマーケターと飲む機会があり、はなした時に、そのマーケターはぼやいていた。セールスはいいよな、現場の声が聞けるから。おれらは、しかけたやつが効いてるのか効いてないのかがわからんときがあるからなと。

その言葉が最近は実感できるものとして脳にあがってくる。わたしは日々マーケティングとセールスで、弊所の商品やサービスを売っているが、失敗も成功も、見事なスピードで結果がかえってくる。

同じタイミングで仕掛けても文言ひとつで結果が全然ちがったりする。もちろん、そこには他者の要素がはいるので、完璧に分析することはできないが、日々それを得ることで、マーケターとしてのスキルはあがっている。

て、考えると、これからの人生もおそらく、やるなと言われても分析はするだろうし、それ、すなわち、商売で言ったら何になるのとなるとマーケターだなと思い、その思いが、急激に自分の中で、発達してきて、今日のブログタイトル変更キャンペーンとなったのだ。

のこりふたつの好きなもの、サーフィンと哲学に関しては、また記事をあらためて書いていこうと思う。リニューアルしたブログ。今後もご贔屓いただければ幸いにて候。