私の好きは、誰かの嫌いである。
特に俺の好きは、他の人に受け入れられない傾向があるので、これは顕著にでる。そうなんです、すべての人が同じものを好きにならないってのがこの課題のキーになるんですよね。
誰もが好きなことばっかりやったら、嫌な仕事や嫌いな仕事をする人がなくなると考えがちですがそうではない。結構埋まっていくから不思議だ。
学生の頃ペンションとよばれる規模の小さいホテルでバイトをしていた。夕食時に一番人気があるのはホールでの接客。スキーのブームだったので、学生やOLがたくさんきていたのだ、しかも女の子が圧倒的に多かった、ペンションってかわいいイメージなので、女の子があつまるのだ。
ホールにいけば、彼女たちと接触できる。そこから友達になったり、いっしょにスキーしたりの機会につながることが多い。だから、いつもその場所は取り合いになる。いつもそこはジャンケンが行なわれ勝ったものがその地位を得られる。
わたしはいかない。もちろん、女の子と知り合いになるのは魅力なのだが、それよりもっと魅力を感じる仕事があるのだ。皿洗いだ。
残飯まみれのシンクから一枚一枚皿をとりだし洗剤をつけたスポンジであらう。洗ったやつはろなりのシンクにいれて水で洗い流す。するとピカピカになった皿ができあがる。それがとても好きなのだ。
もし俺がいなければその場所は誰も選ばず、ジャンケンで負けた人が言ってたであろう。残飯は汚いし油まみれだし、ヌルヌルで臭い。だから人気がないのだ一般的には。ところが、そんな弊害をさしおいてでも、洗った皿がでてくる魅力をとるのだわたしは。蓼食う虫も好き好きだ。
世の中もきっとこうなってる。
誰かの嫌いは誰かの好きだ。どうしても、ほぼ全員が嫌いな仕事ってのもあるが、そこには経済の効果が働く。誰もしないから給与は高くなる。閾値を超えると、好きより報酬を優先させる人がでてきて、その仕事は埋まっていく。
なので本質的にはみなが自分が好きで得意な仕事をしていけば、世の中きっと回るのではと私は思っている。
これを建前にして、好きなことをするってのはいかがだろうか、おおいなる後ろ盾になると思うのだが。